実は絶望の負の感情とは、
生命の危機を感じた時に、
状況を打開する新たな案を発想するために感じているものである。
絶望の負の感情とは?
こんにちは、
最瞰者の良縁(みえにし)だ。
冒頭の説明を不思議に感じたかもしれないが、
絶望の負の感情は、
新たな発想をするために実は感じている。
そう、
『あぁ、終わったな⋯』
『もうダメだ⋯』
このように人が絶望を感じている時、
実は新たな発想力が身に付いているのだ。
では、
そもそも絶望の負の感情が、
なぜ発想力につながるのだろうか?
その鍵が、
生命の危機だ。
絶望の負の感情ができた、
人間が狩りで生活していた大昔を、
想像してみて欲しい。
あなたは狩りに失敗し、
逆に獲物に追い詰められ、
生命の危機を感じていた。
そう、
周りはイノシシに囲まれている。
しかも、
メチャクチャ興奮して今にも、
束になって襲い掛かってきそうだ。
『これは流石に詰んだか……。』
と絶望するだろう。
そう、この絶望する状況では、
ショックで出来る「包容力」や、
失望でできる「人間力」は役に立たない。
あなたは、
イノシシ相手に人間力を発揮し、
『自分と一緒にいると面白いよ!』
とアピールするのだろうか?
当然、
容赦なく牙でぐっさりいかれるだろう。
だからこそ、
その状況を打破するための案、
〘発想力〙が必要になってくる。
そして、
絶望の負の感情が発生することで、
『そうだ!』
と発想力が湧き、自然と切り抜けるための打開策を閃く。
これにより、持ってる棒を遠くに投げ、
イノシシが気を取られているスキに木に登ったり、
大きな枝を拾い、自分を大きく見せて、
動物の戦意を喪失させたりできるのである。
このように、
人が状況に対し絶望の負の感情を感じているとき、
実は新たな発想をして状況を打開しようとしているのである。
走馬灯
「危機的状況で、
絶望をすることで、
新たな発想をし状況を打開する」
何だか分かるようで分からない話だと、
感じる人もいるかもしれない。
では、
これを裏付けるものにある有名な現象があるので、
その話をしていこう。
それが、
走馬灯だ。
死を覚悟した直前に、
今までの思い出が蘇る現象だが、
「その記憶の中から状況を打破する方法を探している」
という仮説は実は当たっている。
絶望をすると、
脳波が記憶を呼び起こしている時と同じ、
高次な認知機能を使っている状態となる。
そして、この脳波の状態により、
潜在意識にアクセス出来るようになり、
自分の得たい情報を探せるようになるのだ。
走馬灯は、
単純に死ぬ時の現象という訳ではなく、
死の危機に直面した時、
その危機を打開するための情報を記憶より得ようとしているのである。
絶望の負の感情 … 生き甲斐の喪失を含め、《生存欲求》を満たせないと感じたときに絶望することで、
今までの生き方をあえて否定し、新たな《生存欲求》の満たし方を発想するための負の感情。
では、
最後まで読んでくれて、
楽しめたならこちらも幸いだ。
あなたが負の感情の役割を知り、
上手く原動力にすることで、
人生が輝いたならこちらとしてもフォトンを込め書いた甲斐がある。
また、
別の記事で会おう。
【まとめ】
・絶望は、新たな《生存欲求》の満たし方を発想するために発生している
・走馬灯も生命の危機に絶望の負の感情を感じる事で、新たな《生存欲求》の満たし方を記憶より探している
では、
幾つか記事を紹介しよう。
人間は、
自分なりの価値観で、
生きることが大切だ。
直感で何か感じるものがあれば、
そこに飛び込んでいけば、
あなたなりの人生を生きるための情報が得られるだろう。
心理学としての専門的な解説
ここからは少し専門的になっていく。
専門的な内容を面白いと感じる人向けだ。
それでは、解説していこう。
絶望の負の感情とは?
生命の危機を感じたときに人は絶望するが、絶望の負の感情とは、それを原動力にし新たな考え方・発想をするためのものであり、
人は絶望することで新たなひらめきを得て結果生き延びることができる。
具体例で説明すると、
『火事で逃げ場がなく絶望した』
『長年付き合っていて大好きだった恋人に振られて絶望した』
『ずっと目指していたプロスポーツ選手の道を怪我で絶たれ絶望した』
これらのように直接的な生命の危機、もしくは生きる目的を失い生存が脅かされたときに絶望の負の感情が発生することで、
あえてこれまでの生き方を否定し、生き延びるために新しい考え方・発想を得るように促しているのである。
絶望を感じないと固執し続ける
絶望の負の感情は新たな発想を得て生き延びるために発生している感情であり、
「今の考え方・生き方のままでもう生きられない」と絶望をしないと、人は《生存欲求》を満たせないにも関わらず、今までの生き方にいつまでも固執してしまうということが起きる。
『火事場で無謀なケースだったにも関わらず、従来の脱出の仕方で命を落としてしまった』
『大好きな恋人が離れていったのにその生き甲斐を忘れられず、ずっと想い続けてしまう』
『怪我でプロスポーツ選手になるのが絶望的になったにも関わらず、その夢が忘れられずずっとトレーニングを続けてしまう』
こうならないように、あえて絶望させ今の考え方では《生存欲求》を満たせないと悟らせることで、今までの考え方・生き方を否定し、
新たな考え方・発想をして結果的に《生存欲求》を満たすように促しているのである。
発想力を発揮すると
新たな考え方・発想を得ると、
『火事で逃げ場がなく一瞬絶望したが、新たな脱出方法をひらめき脱出できた』
『大好きな恋人に振られ絶望したが、趣味に没頭する楽しさを見出し結果的に今は充実している』
『怪我でプロスポーツ選手の道を絶たれ絶望したが、そのおかげで今は他の道で生き甲斐となる目標ができた』
このようになり、一度絶望の負の感情を感じることで結果的に《生存欲求》を満たせるようになるのである。
直接的な生命の危機・生き甲斐を失ったときに絶望の負の感情を感じたときは、
様々なことに考えをめぐらせ今の状況を脱する手段・新たな生き方をひらめくことが絶望の負の感情への正しい対処の仕方である。
負の感情の除去の方法
絶望の負の感情は発想力につながる負の感情ではあるが、多くの人には必要なくその記憶がない方が良いこともある。
絶望の負の感情だけでなく、全ての負の感情は明確な除去の方法が存在し、負の感情、依存の感情、全ての感情を除去したりコントロールできる能力が、潜在能力の1つ、「感情の書換能力」である。
これは記憶から発する感情を書き換え無効化することができるもので、進化のため誰でも使えることができる能力となっている。
noteという電子書籍のサイトにて、「感情の書換能力」の負の感情に関しての能力を載せているので、希望する人は自分の進化のためにも能力をもってもらいたい。
絶望だけでなく怒りや不安など、文字通り全ての負の感情を除去し、コントロールできる能力となる。
感情の発生起源
《生存承認欲求》を満たすことを強く促す、[死に物狂いの負の感情]でも危機を脱すことが出来ず欲求を満たせないと感じたとき、
生命を守るために窮地を抜けだす新たな発想をすること、このために出来た感情だと推察される。
〘発想力〙を持つ人間が共通していっているのは『数秒で閃く』ということ。
これは絶望の負の感情が出来たと考えられる数万年前、動物に襲われたりし危機的状況のときは時間がなく、一瞬で打開策を閃くことが必要だったためと推察される。
また、絶望の負の感情を最大限原動力にしたものが「走馬灯」であり、
普段顕在意識では潜在意識の記憶は知覚できないことが多いが、強い絶望の負の感情により記憶を呼び起こす脳波にする事で過去の記憶をハッキリと知覚することが出来る。
そして過去の記憶から生き延びるためのヒントを探り、新たな発想をしようとしているのである。
負の感情としての性質
【属する欲求】 生存欲求
【行動原理】 生存執着
絶望の負の感情とは、《生存承認欲求》が脅かされ今のままそれを満たそうとしても命を落とす・生き甲斐を通して《生存承認欲求》を満たせない等より強い負の感情の発生が予想されるとき、
それを避け状況を打開する新たな発想をするための負の感情である。
生き甲斐が何故《生存承認欲求》を満たすものになるかというと、生きる目的そのものがあると交感神経・副交感神経が活発になり、それにより自律神経そのものの活動量が増えることで《生存承認欲求》を満たせるからである。
(自律神経は《生存承認欲求》を満たすために活動している)
[絶望の負の感情]は、
《自己欲求》に属する[諦めの負の感情]や《他者欲求》に属する[拒絶の負の感情]、《求知欲求》に属する[失望の負の感情]と同等の性質を持ち、
行動原理はより強い負の感情を避けるために欲求を満たすことをやめる執着となる。
〈絶望の負の感情による執着の行動原理〉
【欲求 + 負の感情 = 執着】
生存承認欲求 + 絶望の負の感情 = 生存執着
《承認執着》は欲求を満たす事を強く促すが《執着》はより強い負の感情を避ける為欲求を満たすのを避ける事に執着するという性質がある。
(今までの危機回避の仕方や生き甲斐では生存承認欲求を満たせないと感じ、一時的に欲求を満たさない事に執着する事でより強い負の感情の発生を避けている)
本質的にはどちらも負の感情での行動原理なので《執着》となり、負の感情が強ければ強い程行動の制御を失わせる効果がある。








