負の感情(執着)

【蔑みの感情】他人を見下す人は劣等感でそうしてる!

枯れ木

 

 

人は興味のないことには反応しない。

 

他人を見下す人は、

過去の劣等感を刺激され、同じになりたくないと思い、

 

「自分は違う!」と見下す行動に出ている。

 

 

他人を見下す心理とは?

 

こんにちは、

始祖の助手の御縁優(みえにし ゆう)だ。

 

他人をバカにしたり、

見下す言動をする人間。

 

こういった人間に対し、

『ムカつく!』

と思った人は多いだろう。

 

そう、

俺も過去そんな人間に、

ムカついてばかりだった。

 

でも、相手から何かされた訳でもないのに、

他人を見下す人は、

 

実は、劣等感でそうしているのだ。

 

何故かというと、他人を見下さないと、

自分の劣等感にのまれ、

同じようになってしまいそうだからである。

 

考えてみて欲しい。

 

 

 

相手に共感し見下す

 

そう、あなたはきっとあなたの身近にいる人が、

なぜ他人を見下すか不思議に思いこのサイトを見たことだろう。

 

だが、その人は見下す相手と同じになってしまいそうな不安を抱えているからこそ、

相手を見下すのだ。

 

考えてみて欲しい。

道端で80代ほどの爺さまが、子供みたくひっくり返り『ヤダヤダヤダ!』と駄々をこねていたとする。

このときあなたはどのように反応するだろうか?

 

『うわっ、強烈だな、見なかったことにしよう』

 

せいぜい、この程度だろう。

 

だが、その『ヤダヤダヤダ』と駄々をこねている人が、あなたと同年代で背格好があなたに似ていて、

ファッションも同じようなものを着ていたら?

 

『うわっ、何してんのあの人。あんなことして恥ずかしい。アホじゃないの、、』

 

と、少なくとも少し共感してしまい、心の中で見下すだろう。

これは、自分と似ていることで、「同じようになったら嫌だな」と、

不安を感じていることが原因だ。

そして、よく相手を見下す人というのは、その人がどういう気持ちか分かるから相手を見下す、

少なくとも相手に共感をしている人になる。

相手に共感するからこそ、同じようになったら嫌だなと不安を感じ、

虚勢をはり、強がり鼻で笑い、見下すのだ。

人は無関心だとスルーするが、相手に共感しているからこそ、

見下したりそういったリアクションをとるのである。

 

見下すのは必要

 

では、そもそも見下す、「相手を蔑む」というのはどうして必要なのだろうか?

 

『こんな相手の気分を悪くする感情、別に必要ないじゃないか!』

 

と、あなたは思うかもしれない。

だが、蔑みも負の感情として人間に発生している以上、やはり必要なものなのだ。

 

例えば、あなたの父親が、どうしょうもない呑んだくれで、仕事もしないボンクラだったとする。

小学生のあなたは、そのだらしなさに人生を全フリしたような父親と、

やはり一緒に生活しなければいけない。

そう、何なら朝からずっと酒を飲んでいる。

 

このとき、どう思うだろうか?

 

 

『絶対こんな風になりたくない!』と思い、父親を見下すだろう。

 

こういうときのために、蔑みの負の感情は存在している。

人には、共感する相手に似てくる、という脳の機能がある。

(ミラーニューロンという相手に共感する機能)

これがあるために、蔑みで拒絶しないと、周りの人に勝手に似てきてしまうのだ。

 

そのため人は、「同じになりたくない」と感じた人間を、

蔑みの負の感情で見下し、同じようにならないようにしているのである。

 

そう、まとめるとあなたの身近な人は、相手に共感しそうになる心の弱さも持ち合わせていて、

同じになりたくないと必死に自分を守るために、他人を見下す言動をしているのだ。

 

よしっ、タイトル回収も無事終わったが、次の最後の章で、蔑みの正しい使い方と、

そいつは優越執求依存の可能性が高いということを教えていこう。

 

蔑みの正しい使い方

 

『なんだ、可愛いとこあるじゃん』

 

と、あなたは身近な人に対して、少しホッとしているかもしれない。

でも、おそらくは数日後、

 

『ぐぬぬ、やはりムカつく、鼻につく。』

 

と、思っている可能性が高い。

なぜなら、

 

その相手は優越執求依存だからだ。

 

実は、蔑みの負の感情とは、わざわざ言動で自ら表す必要はなく、

 

・心の中で「うわっこいつダメだな、同じようにならないようにしよう」と思う

・相手が近寄ってきたら「うっ、すまん」と拒絶の意思表示

 

この2つを行えばよく、自らアクションする必要はない。

上の2つであれば、本来の負の感情の正しい使い方なので、

実は相手も嫌悪感を感じないようになっている。

周りを気遣いやすい人は、別に相手も嫌だと感じないので、

上の2つの方法で蔑みを使ってみて欲しい。

 

だが、これとは異なり、

 

ムカつく!

 

と感じるときがある。

それが、優越執求依存の奴だ。

これは、負の感情ではなく依存の感情に依存していて、

人を蔑むことに気持ち良さを感じている、ちょっとヤバい奴になる。

特に優越執求依存は、DVやモラハラの元にもなるので、

パートナーがそうだったときはちょっとヤバいかもしれない。

気になる人は、次の記事を読んでみてくれ。

相手を蔑んで達成感を感じるという、優越執求の記事になる。

また、女性のために見分け方も載せてある。

 

 

 

 

 

 

心理学としての専門的な解説

ここからは、少しずつ内容も難しくなっていく。

専門的な内容に面白さを感じ、学びたい人向けだ。

内容はもちろん、始祖である御縁(みえにし)先生が全て脳内で解明したものを、

俺が文章にしているに過ぎない。

先生は、皆の脳を俺のように実際に進化させてくれる人でもあるので、

興味がある人は読んでみてくれ。

 

具体例

蔑みを具体例で表現すると、

『母にいくら注意されてもだらしないままの父親を心の中で蔑んだ』

『口だけで全然仕事ができない上司をいつも心の中では蔑んでいる』

『仲間内でいつも約束を守らなかったり嘘をつく友人を心の中では軽蔑している』

これらのように対象と同じようにだらしなくなるのや仕事ができなくなるのが嫌だったり、約束を守らなかったり嘘をつく人間になりたくないために対象を否定するのである。

 

よく蔑む人は自分を守るのに必死

蔑みの負の感情の本来の使い方は、上の具体例でもあるように、

「心の中で蔑み対象と同じようにならないようにする」

というものである。

この本来の使い方であれば、自分も守れ同じようになりたくない対象を始め、周りの人間に迷惑を掛けることもない。

いけないのは、自分を守りたいあまりその蔑みの負の感情のみでの心地悪さから、

そのだらしなかったり情けない対象が悪いと思い込み、その対象に対して攻撃を始めることである。

この最たるものがイジメであり、イジメは対象を情けないと思ったときに蔑みが発生する、そしてその蔑みの負の感情だけの心地悪さから、

『なんであんな奴のせいで嫌な思いをしないといけないんだ、あんな情けない奴が悪いんだ』

と思い被害者を攻撃し始めることが原因となっている。

この蔑みの負の感情だけでの心地悪さから逃れるために、加害者は蔑みと正の感情が入りまじる、

自分は特別で周りを見下したい優越執求(達成感+蔑み)

人を見下すのが楽しいサイコパスの元の侮辱執求(楽しさ+蔑み)

これらの依存の感情に依存し、蔑むことに心地よさを感じ、被害者を攻撃するようになっていく。

そのため、イジメの加害者は蔑みだけの負の感情の心理状態に耐えられない、負の感情耐性が低く、

自分の心を守るために被害者に依存する、心が弱い人間ともいえる。

イジメだけに関わらず、

『なんでこんなに部下(店員)は遅いんだ、仕事ができない(蔑み)、そうだ部下(店員)に当たればいいんだ』

のパワハラやカスハラ、

『相手がチンタラしてるのが悪い(蔑み)、煽ってやる』

のあおり運転など、全てその人間の心の弱さから優越執求等に依存し起こっているといえる。

メンタルが健全な心が強い人は、蔑みの負の感情が発生しても、

自分からは極力関わらないように行動するなど、自分で自分の感情を処理できるのである。

(優越執求等に依存するのは、努力をしないで対価を得たいのと、正確には2パターン存在する。)

 

避けられない人間関係の時に人は蔑む

 

では、蔑みの負の感情の本来の使い方に戻ろう。

蔑みと嫌い、似ている性質の負の感情があるが、実は嫌いだけでは対応できないときに、蔑みは発生するようになった感情となっている。

通常は相手を嫌って避ければ[嫌いの負の感情]で対象を避けるようになるので共感や模倣をしないですむが、

家族やグループ、職場等の避けられない人間関係の場合はそうもいかない。

蔑みの負の感情の本来の使い方は、対象を避ける特性のある[嫌いの負の感情]で対象を避けられない場合に、

ミラーニューロンで対象を模倣したり共感しないように、[蔑みの負の感情]で対象を「心の中で否定する」というのが正しい使い方である。

嫌いの負の感情だけでは対応できないときに、蔑みは発生するようになった感情となっている。

 

蔑みは心の中だけであれば、基本的に除去する必要はないかと思われるが、

蔑みの負の感情だけでなく、全ての負の感情は心であることをするだけで一瞬で除去することができる。

noteというサイトで「全ての負の感情の除去の方法」という、除去能力を承継する内容の特殊な電子書籍を出しているので、興味がある人はそちらをご覧いただきたい。

 

負の感情としての性質

【属する欲求】 全欲求

【行動原理】 承認執着(欲求を満たす事を強く促す)

蔑みの負の感情とは、自身が満たせている欲求を満たせていない対象を見下し否定することで、

同じ欲求が満たせていない状態にならないようにするための負の感情である。

自身が満たせている欲求を対象が満たせていないときに受け入れると、共感や模倣を司る脳の神経細胞ミラーニューロンで、

対象に共感、模倣し自身も同じように欲求が満たせないようになっていってしまう。

そうならないために蔑みの負の感情で対象を見下し否定するのである。

(嘘をついたり裏切ったりするのを軽蔑するのは、モラルのある人間でありたいという自己承認欲求があるからで、その欲求を満たし続けるために対象を蔑む。)

蔑みは全ての欲求に属する感情となり、自身が満たせている欲求を対象が満たせていないときに限り発生する。

自身も欲求を満たせていないときは、対象に対して『自分は絶対対象のようになりたくない!』と思っても、[嫌いの負の感情]しか発生せず[蔑みの負の感情]は発生しない。

自分と似ていても対象を否定できる[嫌いの負の感情]と違い、あくまで満たせている欲求を満たせなくなるのを避けるための感情となっている。

 

行動原理は《承認執着》となり欲求を満たすことを強く促す性質を持つため、

蔑みの負の感情が紐付いた対象を見下し否定し、それで満たせていた欲求を継続して満たせるように促している。

原理としては、《承認欲求》に[蔑みの負の感情]が紐付くことで、承認欲求を満たすことを強く促す《承認執着》となる。

【欲求 + 負の感情 = 執着】

承認欲求 + 蔑みの負の感情 = 承認執着

 

また、蔑みを相手から受けたと感じても、蔑みの負の感情のみの場合は自身には何も負の感情は発生しない。

これは蔑んできた相手と自分は、必ずしも同じ欲求を満たしたいとは思っていないことが関係しており、

蔑みと拒絶により発生する[憎しみの負の感情]を感じるのは、あくまで[蔑みの負の感情]を相手から感じ、かつ拒絶されたと感じて[拒絶の負の感情]が発生した場合である。

相手に対して[期待の正の感情]が発生し、《他者承認欲求》を満たしたいと思っているため《他者欲求》に属する[拒絶の負の感情]も発生するのであり、

相手を通して求知承認欲求を満たしたいと思っていれば、《求知欲求》に属する[ムカつきの負の感情]が発生する等、

蔑みの負の感情により、蔑まれた方はどの様な反応をするかは相手を通してどの欲求を満たしたいと思っているか、これにより何の感情が発生するかは決まる。

例)

蔑んできた相手を通して何の欲求も満たしたいと思っていない

→ 何の感情も発生しない

蔑んできた相手を通して他者承認欲求を満たしたいと思っている

→憎しみの負の感情の発生

蔑んできた相手を通して求知承認欲求を満たしたいと思っている

→ムカつきや失望の負の感情の発生

等。

 

感情の発生起源

顕在意識(大脳新皮質)が発達していき人間社会が発展していく中で、[嫌いの負の感情]だけでは対処できない場面が増え、

嫌いな対象を物理的に避けられないときに、その対象と同じようにならないために出来た感情だと推察される。

嫌いな相手とは嫌だと感じたら関わらないですめば対象を蔑まずにすむが、人間社会ではそうもいかない。

そのために嫌いな相手と一緒にいなければいけないときは、ミラーニューロンで共感、模倣しないよう蔑み否定する。

蔑みの負の感情を人間はいつ頃から感じるようになったかに関しては、

・動物の中でも蔑みの行動はオランウータン等の一部の高等生物にしか見られない

・ミラーニューロンの発達により模倣、共感する様になったことに起因すると推察される

・嫌いの負の感情で対処できないときに発生するようになった

これらのことから他の感情と比べかなり後期にできた感情だという事が結論として導き出される。

(動物も多くは食べ物で好き嫌いをし、嫌いの負の感情はあるように思えるが、蔑みの負の感情の行動は殆どの動物では見られない。)

-負の感情(執着)