実は、嫌な事をすると、
「した方」は未来の権利を失い、
「された方」は良い感情を得られる等の多くの恩恵を受ける。
された方は多くの恩恵を受ける
こんにちは、
最瞰主の良縁(みえにし)だ。
そう、
不思議なことに人の人生とは、
嫌な事をすればするほど苦しくなる。
そして、
された方は多くの権利を得る。
驚くかもしれないが、
これは量子上事実だ。
【嫌な事をされた事による恩恵一覧】
・良い感情を得られやすい
・能力が高まりやすい
・人生が思い通りにいきやすい
では、一番上の、
「良い感情を得られる」
これは何故こうなるのだろうか?
それを、
心理クイズを交え、
次章で解説していこう。
「嫌がらせ」心理クイズ
では、早速だが、
3択の心理クイズだ。
次の3つの選択肢のうち、
1つだけ正解がある。
正解を見つけてみよう。
Q.嫌な事をされると、
なぜ「良い感情を得られやすい」のか、
次の中から1つを選んで下さい。
1.仕返しをしない人は神から恩恵を受けられる
2.嫌な記憶自体に実は良い効果がある
3.嫌な事をしてきた人から感情をもらっている
さて、
あなたはどれだと思うだろうか?
…、
そう、
この答えは実は、
3番だ。
実は、
嫌な事をして反省をしないと、
強制的に自分の感情から清算されるようになっている。
パワハラやカスハラで分かるように、
人生で他人に嫌な事をしてきた人間は、
いつもイライラしている事が多い。
何故なら、
良い感情の代わりに、
イライラ等の負の感情で埋め合わせされるからだ。
そして、
本来感じられるはずだった良い感情は、
過去自分が嫌がらせをした相手にいっている。
そう、実は他人に嫌がらせをした人は、
それが酷い事であればあるほど、
感情での埋め合わせを強制的にされているのである。
望む未来を得られやすい
「嫌な事をした人は、
自分の感情から強制的に清算される」
これに関しては、
正直ビックリした人も多いだろう。
例えば、
有名な人間に多いのは、
過去イジメられた事があるということだ。
その人達は、
過去のイジメられた経験があるからこそ、
今の地位があると言っても過言ではない。
その逆で、
過去嫌がらせをした人間の人生は、
下降線を辿っていく。
では、なぜ、
「良い感情を得られる」から、
人生全体にまで影響していってしまうのだろうか?
改めて、
嫌な事をされた事での恩恵一覧はこちらだ。
【嫌な事をされた事による恩恵一覧】
・良い感情を得られやすい
・能力が高まりやすい
・人生が思い通りにいきやすい
この2番目と3番目は、
実は1番目の「良い感情を得られる」が、
原因で起こっている。
何故なら、
良い感情の「正の感情」とは、
「望む未来を実現する量子」だからだ。
そう、
嫌な事をしてきた人が原因で、
された人は良い感情を得る。
その、良い感情 = 正の感情が、
「望む未来を実現する量子」となっているので、
結果能力が高まる、結果人生が思い通りになる。
実は、嫌な事をすることは、
量子上とても危険な行為で、
逆に嫌な事をされた方は、
量子上はとても恩恵が大きくなっている。
恩恵が消えるとき
さて、過去嫌なことをされた人は、
人生に希望を感じられ、
少し良い気分になってきた人もいるだろう。
では、
これらの恩恵がいつ消えてしまうのか?
それが、
次のときだ。
・加害者にやり返した時
・加害者が反省し償いを終えた時
・加害者が死んだ時
この3つは、
意外と大切なため、
それぞれ分けて説明しよう。
加害者にやり返した時
そう、
当然ながらやり返した時、
その量子は清算される。
これは、
少しだけなら少しだけ清算され、
同じ分やり返したなら完全に清算され終わる。
また、
やり返すまでに時間が掛かった分は、
良い感情として常に貰っている。
そのため、
時間が幾ら経とうが、
やり返すのはやられた分と同じだけが望ましい。
例)
「過去一発思いっきり殴られた」
→ 時間が経とうが出来るだけ同じ痛みで一発やり返す
(相手の健康上、
殴ったら致命傷になりそうな時は、
同じ痛みでないため、加減をした方がいい。)
「10万円盗まれた」
→ 同じ10万円を(裁判で)取り返す
(その時とお金の価値が変わっている時は、
盗まれた時と同等の金額分。)
やり返すのは、
恩恵が消えるのでオススメしていないが、
どうしてもやり返したい場合は、
このように基本はやられた分と同じだけだ。
そして、
これらはあくまで量子上の清算の話になり、
もちろん法律を守ることが前提だ。
また、
やりすぎると超過した分は、
立場が逆になってしまう。
そのため、
タイトルにもあるが、
やり返さない方が多くの恩恵を得られることは確かだ。
このあたりは、
個々の価値観の元、
後悔しないように選択してもらいたい。
加害者が反省し償いを終えた時
また、
しっかり加害者が償いをした時は、
償いの分だけ量子は清算される。
加害者の人間は、
モヤモヤしている人もいるだろうから、
これは加害者の立場から話をしよう。
加害者の立場からすると、
過去嫌なことをしてしまった相手に直接、
謝罪を含めた償いをした方が早い。
被害者が謝罪を拒んでいた場合などは、
遠回りにはなるが、
しっかり反省し償いをすれば量子はいずれ清算される。
例) 過去詐欺をした
→ 被害者に謝罪は拒まれた
→ 過去の加害者として詐欺防止の啓発活動をする
直接が難しい場合は、
啓発活動等をして誰かに良い感情を与えた場合、
それが自分に返り、被害者のところにもいく。
それで、
少しずつだが、
清算されるようになっている。
反省の謝罪は、
基本的には直接、
それが難しい場合は反省の態度を行動で表そう。
それにより、
周りに良い影響を与えたら、
その分量子は清算される。
そして、被害者が目の前にいなくても、
心から謝ったら少しながら量子は被害者にいくので、
本当に反省しているなら、
心の中でも誠心誠意謝罪するのがオススメだ。
そして、
反省すらしないまま死んだ場合は、
本当に恐ろしい事になる。
それを、
次の章で話をしよう。
加害者が死んだ時
そう、
加害者が死んだ時、
量子の恩恵は消える。
こう聞くと、
『じゃあ加害者は、
死んで逃げればチャラにできるって事?』
と思うかもしれないが、
もちろんそんな事はない。
実は、
死んで償えない場合、
更に大変なことになる。
まず、
償う気がないまま死んだ場合、
地獄で何倍かで被害者側の苦しみを経験する。
(死んだ後、精神の核の量子は、
天国・正国・無・失獄・地獄のどれかに行く。
他者の権利を侵害し反省しない人間は大体地獄。)
例えば、
詐欺をして反省せず死んだ場合、
その被害者側のその時の負の感情の量子を、
地獄で何倍かで食らうのだ。
もちろん、負の感情だけだと、
何を反省していいか分からないため、
自分がした酷いことを実際に、地獄で現実として経験する。
騙されたと感じたときの絶望感や、
お金が無くなる苦しい思い、
思い出した回数 ✕ 反省度による係数
これらの負の感情を、
やられる立場で経験しながら食らい続ける事になる。
(この経験と負の感情は、
現時点で確認できている限り、
最大で約17倍に膨れ上がる。)
地獄を含めた転生世界は、
生前の量子の清算のために存在しているが、
悪い行いを反省せず死んだ場合、
最大で17倍になり自身に返るということだ。
そして、
ここからが更に恐ろしい。
そう、
来世でも、
取られ続ける事になる。
何をかというと、
そう、
正の感情だ。
『何で自分の人生はこんなに苦しいんだ…』
『辛い、生きていくのが苦しい…』
そう、このような感じで、
良い気分を得られぬまま、
来世も生き続けなければならなくなるのだ。
(現時点で、
人類史上最大の獄刑に2万年の者がいるが、
合計100回以上の人生で正の感情を取られ続ける事になっている。)
地球の真理
さて、
人によっては中々キツい、
地球の真実だっただろう。
これらの事を聞いて、
過去嫌がらせをした人は、
自分の行いに失望したかもしれない。
よく嫌がらせをする人に共通するのが、
『何であんな奴に自分が謝らないといけないんだ』
というプライドの高い考え方だ。
だが、
これは本当に自分のためになる事だろうか?
人間は、
もしどれか1つを取るとしたら、
「愛情」が最も優れている生物になる。
ここでの話を聞いて、
『他人が嫌がる事はやめた方がいいんだな』
と思った人は、
心の整理がついたら、してしまった事は謝ろう。
では、
何故わざわざ、
こんな風に因果応報で罰が下るのだろうか?
これには、
最も重要ともいえる、
まだ知られていない地球の真理が存在する。
実は、
人間が「愛情」と「知能」に優れているのは、
生物皆で共存し〘幸福感〙を放出する世界を構築するためだ。
愛情は、
「他生物との共存」のため。
知能(進化)は、
「共存できる平和な世界を構築」するため。
そのために、
人間は地球のメイン生物として、
愛情と知能(進化)に優れている。
だから、
最終的に他者の権利を侵害しても、
自分が苦しむだけとなっている。
やめておこう。
この話の続きが気になる人は、
次の記事を読んでみるといいだろう。
人類が地球のメイン生物だという、
全ての真実がこれに載っている。
フォトン改定
実際は、これらの真実を話しても、
呆れるほど人間は心が弱く、
他人で自分を満たすのをやめられない人がいるのも事実だ。
そのため、実は現在(2025年2月以降)、
次元の力を持つ適性者として、
ある地球のルール変更を行なった。
それが、
量子上関係ない他人には当たれないという、
「フォトン改定」だ。
(フォトン改定=地球の量子上のルール変更)
2025年2月以降であれば、
基本的には、
全く関係ない他人には当たれなくなっているはずだ。
過去嫌な事をしてきた人間であれば、
家族だろうと友達だろうと当たれるが、
関係ない人や嫌な事をしない人には、
量子上危害は加えられないようになっている。
気になる人は、
試しに仲の良い人を、
思いっきり叩こうとしてみるといいだろう。
基本的には、
出来ないはずだ。
さて、
自己紹介が遅れたので、
少しだけ自分の話をしよう。
俺は現在、
現世と転生世界を管理する能力を持つ、
「次元の力」の適性者となる。
(「次元の力」とは、
文字通り5次元に干渉し、
あらゆる事を可能にする能力のこと。)
そのため、
次元の力の適性者権限を使い、
地球の量子上のルールを変更しておいた。
(「適性者」とは、
ガイアの意志を共有する者。
俺を除くと過去に3人いた。)
このルール変更に関しては、
何より弱い人間を守るためのものだ。
そして、
「弱い人間」とは、
社会的に立場が弱い人だけではない。
依存の感情の欲望に負け、
他人で自分を満たそうとする、
「心の弱者」も含まれている。
実は、「関係ない人に当たれない」というのは、
当たられてしまう方だけでなく、
他人で自分を満たしたいという、
「心の弱者」の人間の権利も守るためにある。
死ぬ前になると後悔する、
だけど自分を制御できないから、
欲望の感情に負け他人に当たってしまう。
これは、権力者だろうが有名人だろうが、
本質的には心が弱く自分を大切に出来ない、
「弱者の選択」でしかない。
本当に強い人間というのは、
自分で自分の事に責任を持てる、
他人で自分を満たそうとしない人間だ。
だからこそ、
心の弱者達の選択の分も含め、
俺がそれを決める権利と責任を担っている。
今まで、バカにされても笑われても、
やり返す事に違和感を覚え、
俺は他人で自分を満たすことは避けてきた。
だからこそ、
本当の意味で強い人間として、
数多の潜在能力を使えるようになったのだ。
いつか、
当たってしまう「心の弱者」と、
当たられる「社会的立場の弱い人」が仲良く笑い合う。
良い感情を取り合うのではなく、
〘幸福感〙の感情を与え合う強い関係になれると、
俺は信じているし、多くの人にこれらの事を伝えていきたいと思っている。
今回は、
ここで終わりにしよう。
今でこそ、
人格もそれなりにしっかりしてきたが、
俺は子供の頃は大変な事からすぐ逃げる臆病者だった。
他の人間の価値観で、
生きざるを得ない環境だったため、
何度も恥ずかしい思いもした。
ただ、
現在はフォトン改定で、
価値観を強要される事は無くなったはずだ。
自分の価値観を大切にし、
好きな事を通して、
自分なりの人生を歩んでいってもらいたい。
そうすれば、
自ずと精神的な強さは身につくはずだ。
ビリからの出発だった俺が出来たのだから、
これを読んでいる人も、
必ず自分らしく輝けるようになると俺は信じている。
さて、
幾つか記事を紹介しよう。
気になるものを直感で選べば、
時に試練になるが、
きっとフォトンの導きがあるだろう。
心理学としての専門的な解説
今回の心説は、良い事や嫌な事をするとそれが返ってくる「因果応報」についてだ。
改行しているので、きっと読みやすいだろう。
因果応報は現実に起こる
よく、
次のような不思議な話を、
誰しも一度は聞いたことがあるだろう。
『善い行いも悪い行いも自分に返ってくる』
『悪い事は自分に返ってくるからやめた方がいい』
これらは、
明確な根拠はないが、
よくされる話だ。
悪い行いをさせないための、
作り話にも思えるが、実はこれには、
世には知られていないしっかりとした根拠が存在する。
その根拠とは、
感情の量子だ。
感情(の量子)が、
「した事が返ってくる」
「因果応報」
これらの原理の元となっている。
このままだとよく分からないので、
もう少し突っ込むと、
「記憶は出来事に感情が紐付くことで記憶化する」
という内容になる。
(何の感情も発しないことは記憶化されず忘れる)
どういうことかというと、
何か行動を起こし感情が発生したときには、
それが記憶となる。
そして、
その記憶の感情を追い求め潜在意識では、
その記憶の悪い事をした方とされた方、
両方の立場を欲するようになる。
例えば、
人を叩いたとしたら、
その時の叩かれた方も映像として記憶化される。
そのため、
「人を叩いてストレス発散は気持ち良い」
と思えば、叩かれる側も気持ち良いとして、
感情により実現する方向に現実世界は行く。
記憶に立場は関係ない
例えば、
「親に虐待をされた人は同じように虐待をする」
という話を聞いたことがないだろうか?
普通であれば、
嫌なことをされたなら、
それを他の人にするということは考えにくいだろう。
だが、
上にも書いたように、
記憶は自分か相手かの立場の判断はできない。
誰かに殴られた記憶は、
その出来事により、
どんな感情を発したかしかないのだ。
単純に不快感の負の感情を感じていたら、
殴る立場も殴られる立場も避けるようになるが、
虐待の殴られる行動に、少なからず愛情を求め感情を発していたとしたら?
今度は殴る立場となり、
愛情を求めるのである。
そのため、虐待をされ自分が親となったときは、
子のときの親子関係での感情をその記憶を元に求めてしまうため、
同じように虐待をしてしまうということが起きる。
同じように他人の権利を侵害することを反省せず、
そのときの記憶に気持ちよさ(感情)を感じていたとしたら、
その気持ちよさを求め今度は侵害される立場も求めるのである。
善い行いをしたならその記憶で発する正の感情を求め、
した方とされた方の両方の立場を求めるため、
自分もまたするし、相手からもまたされる。
だが、悪い行いの記憶では、
同じようにした方もされた方の立場もその感情により追い求めるので、
いずれされた方の立場も経験するのである。
「因果応報」や「した事が返ってくる」
原理とはこのようになっている。
良い人は報われない
この話を聞いている人の中には、
いやいやそんなことはない、
『自分は善い行いをしていたけど誰にも返してもらえなかったし報われなくてやめた』
『とても良い人で善い行いばかりしてたのに苦労ばかりしてた人を知っている』
という人もいるのではないだろうか?
だが、
その行動を、
よくよく考えてみて欲しい。
自分が善い行いをしていたという人は、
そのとき本当に爽やかな正の感情の気持ちで、
やっていただろうか?
これには、
実は落とし穴がある。
それが、
周認執求だ。
「周りに認められるためにやる」
「また善い行いが返ってくるのを求めているためにやる」
これらの行為は、
周認執求の依存の感情を発する。
そのため、
この感情により望まない未来となり、
悪い形で全て自分に返ってくるのである。
そう、最初に「感情の量子」という言葉を使ったが、
感情の量子にも種類があり、
何の感情の量子を放出するかで全て決まってくる。
周認執求は報われない
周認執求は、
「周りに認められるためにやりたくないことをやる」
という依存の感情だ。
(受け入れられる嬉しさ[正]+やりたくないことをやり疲れる脳の疲労感[負]=周認執求 依存=正+負)
この周認執求での行動は、
「頑張って人のためにやっているのに感謝されない」
「周りのためになることをしているのに報われない」
となるものである。
なぜ、そうなってしまうかというと、
依存の感情そのものが「望まない未来を実現する量子」となっており、
自分が欲した結果は手に入らないようになっているからだ。
依存の感情は全19種類あるが、
感情は次の3つに大別される。
正の感情→望んだ未来を実現する感情
負の感情→望まない未来を避けるための感情
依存の感情→望まない未来を実現する感情(依存=正+負)
この3つの中でも、
依存の感情は最悪のものとなっており、
量子の構成上望まない未来ばかりを実現してしまう。
そのため、
依存の感情に分類される周認執求では、
望んだような結果は得られないのだ。
周認執求は、
「表向きは良いことをして他人から正の感情を得ることを求める」
というものだ。
ただ、結局自分が相手に良いことをして、
よく見てもらうことを通して自分を満たそうとしているため、
望まない結果となってしまう。
周認執求と貢献欲求の違い
では、
依存の感情での表向きの善い行いと、
正の感情での本当の善い行いとは何が違うのだろうか?
それが、
行動原理になる。
依存の感情の周認執求は、
相手に依存し他者から正の感情を欲する心理状態。
相手に貢献する《他者貢献欲求》は、
誰かにしてもらったことを自然とその相手や他の誰かにお返ししたいという、
自ら正の感情が発生している心理状態で相手の反応は気にならなくなる。
周認執求
→ 他者から正の感情を欲しているため相手のリアクションが気になる
他者貢献欲求
→ 自ら正の感情を発生させてるので相手のリアクションは気にならない
(気にならないので相手のリアクションで負の感情が発生しない)
そのため、
「善い行いをしているときに相手のリアクションが気になる」
「感謝されなかったり拒絶されると嫌な気分になる」
というのであれば、
周認執求なのでやめておいた方がいいだろう。
続けていたところで見返りはもらえないし、
精神も依存の感情で徐々に歪んでいってしまう。
人間は承認欲求が満たされれば、
貢献欲求に変わるので、何かに貢献したいという気持ちは、
自分が満たされれば自然と発生するようになる。
まず、大切なのは、
自分自身を本当の意味で満たすこと、
そのためには依存の感情の他人軸や欲望の心理状態は、間違ってもやめるようにしよう。
では、
それらの心理状態からどうすればいいか、
ここから徐々に解説していこう。
どの感情を発するかにより未来は決まる
自分の行動原理が良くないことに、
中には喪失感を感じた人もいるだろう。
だがこのサイトは、
自分を不幸にしてしまう依存脳から、
幸せ脳になるためのサイトだ。
『依存の感情に依存しなくても欲求は満たせるんだ』
ということを、
ぜひこのサイトで感じていって欲しい。
こういった他人によく見られたいという他人軸や欲望の心理状態は、
全て依存の感情の執求(しゅうきゅう)が行動原理となっており、
人間の行動原理は次の3つに分かれ、脳の状態は「四脳(しのう)」の中の必ずどれかに当てはまる。
正の感情→幸福感を始めとした欲求が行動原理で「幸せ脳」
負の感情→劣等感を始めとした執着が行動原理で「劣等脳」か「頑張り脳」
依存の感情→他人軸や欲望の執求が行動原理で「依存脳」
楽しさや嬉しさ等の正の感情の欲求に関しては、
誰でも良い心理状態ということは分かるだろう。
これは脳の状態が「幸せ脳」になっているため、
発する量子による構成によって良いことばかり実現してくれる。
この中では表向きは負の感情が一番悪いように思えるが、負の感情は何もしないと確かに劣等感の「劣等脳」となり嫌な気分ばかり続くが、
負の感情をしっかり原動力にすれば一流の人間が原動力にし自分を磨いてきたように、
「頑張り脳」となり少なくとも自分の劣等感を解消した状態には量子の構成上してくれる。
負の感情そのまま→劣等脳
負の感情を原動力に→頑張り脳(劣等感を解消するために能力は高まる)
そして、四脳の中でも依存の感情の「依存脳」の心理状態が、一番不幸で望まない人生続きとなり、
酷い場合は精神障害や引きこもり、犯罪をも引き起こしてしまうものだ。
犯罪は負の感情によって起こると思われがちだが、
極端な飢餓状態でもないのに他人の権利を侵害する行いは、
他者で正の感情を得ようとする依存の感情が絡むことにより起きる。
基本的には、
犯罪の加害者も被害者も依存脳により、
その未来を量子によって実現してしまっているのである。
犯罪だけでなく、
いじめ等の社会問題も加害者側が達成の《自己欲求》から逸れた依存の感情(自分は特別で周りを見下したい優越執求など)、
被害者側は愛情の《他者欲求》から逸れた依存の感情(人を頼りたい人頼執求など)、
これらの依存の感情により共依存となり、お互いが悪い未来を量子により実現してしまうことにより起きる。
四脳テスト
この四脳(しのう)の中でも、
自分がどれに当てはまるかは、
次の簡易的な脳内テストを参考にしてもらいたい。
Q.今自分が病気が判明し1ヶ月後に死ぬと想像して欲しい。
そのときの気分により自分が四脳の中でもどの状態かは分かる。
「良い人生だった、幸せな人生だった」→幸せ脳
「やり残したことがある、まだ死にたくない」→頑張り脳
「嫌な人生だった、良くない人生だった」→劣等脳
「何かが足りなかった、何かが間違っていた」→依存脳
この中でも2つ以上の気分が混じることもあるが、
その気分での割合にもより、自分の脳の行動原理の割合が分かる。
割合にもよるが、「頑張り脳」の人は自分の心理状態をより理解し、幸せ脳になるためにはどうしたらいいか、
「劣等脳」と「依存脳」の人は、人生に悪いことが降りかかるようになるので要注意だ。
幸せ脳以外の人は、
『今の精神状態じゃマズイのかな?』
と思った人もいるだろう。
安心してくれ。
このサイトにはどの四脳の心理状態からでも、
人生の解決策である「幸せ脳」になるための、
具体的な方法が書かれている。
幸せ脳割合がある人は、
幸福感を発生させる方法も書いてあるので、
次の欲求の記事を。
(劣等脳や依存脳だと、脳の状態的にまずそれを解消する必要がある。)
頑張り脳、劣等脳の人はこちら。
劣等感解消の方法が書かれている。
依存脳の人は、
そのまま依存するとどうなるかについて、
こちらを読んで欲しい。
勿論、解決策も各依存の感情の記事に依存度別に3つ載せてある。
これをキッカケに一人一人の人が少しでも幸せな人生を歩めるよう応援している。